歴史的なもの(祭,古くからの行事,名物をふくむ)

「足立区」 皿沼不動 (皿沼小学校)

永昌院といわれます。
「足立区」 大鷲神社 (花畑第一小学校)

北側には有名な「大鷲(おおとり)神社」があります。12年に一度あるお祭りにはたくさんの人が来る、大きな神社です。
ぜひ、お参りにきてください。
「あきる野市」 だるま市

新年になると,檜原街道ぞいに大小さまざまなダルマが売られます。
「板橋区」 板橋 (板橋第四小学校)

地名の由来になっている橋です。昔は板状の橋でしたが、現在ではコンクリートで舗装(ほそう)されています。
「板橋区」 志村一里塚 (板橋第四小学校)

江戸時代に築かれた塚です。昔は、旅人の里程や乗物賃支払いの目安になりました。
「板橋区」 松月院(しょうげついん) (板橋第四小学校)

赤塚城に居城した千葉自胤(よりたね)が開基と伝えられています。また、高島秋帆が徳丸ケ原で日本最初の洋式砲術訓練を行ったときの本陣にもなりました。
「板橋区」 東京大仏 (板橋第四小学校)

乗蓮寺(じょうれんじ)という浄土宗(じょうどしゅう)のお寺の中にあります。日本3大仏のひとつです。
「板橋区」 赤塚城跡(あかつかじょうせき) (板橋第四小学校)

室町時代の城跡です。今では、大部分が都立公園になっていて、城山、お林山などとも呼ばれています。
「板橋区」 圧磨機圧輪(あつまきあつりん)記念碑 (板橋第四小学校)

圧輪は、火薬製造に用いられるものです。板橋火薬製造所創設者である澤太郎左衛門(さわたろうざえもん)の記念碑です。
「青梅市」 青梅大祭(おうめたいさい)

毎年5月2日〜3日です。
青梅の12の町からそれぞれの山車(だし)が出ます。
旧青梅街道(きゅうおうめかいどう)やJR青梅駅の近くにはたくさんのお店が出て、とてもにぎわいます。
「青梅市」  金剛寺(こんごうじ)

この梅の木は、平安(へいあん)時代の平将門(たいらのまさかど)がさした枝が根をはり大きくなったものだと言われています。この梅は実(み)がおちる時まで、黄色くならず青いままなので、青梅(あおうめ)とよばれたそうで、青梅市(おうめし)の名前はこれによってつけられたと言われています。
「青梅市」  塩船観音(しおふねかんのん)寺

写真は仁王門(におうもん)です。この門と本堂(ほんどう)はかやぶきで、室町時代(むろまちじだい)に作られました。
つつじがたくさん植えられていて、4月のなかごろから5月のなかごろまで、つつじ祭りが行われ、たくさんの人でにぎわいます。
JR青梅線の河辺(かべ)駅や東青梅駅からのハイキングコースとして人気があります。
<小笠原>

「父島」 大根山墓地公園

旧日本軍の戦車のカバーと,大砲(たいほう)の折れた残がいがあります。

「母島」 北村小学校あと

第二次世界大戦で,島の人たちが疎開(そかい)したために廃校になりました。ジュマルの木がいっぱいしげっています。
「葛飾(かつしか)区」 葛西神社

葛西囃子の生まれた神社です。
「北区」 与楽寺(よらくじ) (滝野川第一小学校)

これは、与楽寺(よらくじ)の本堂(ほんどう)です。与楽寺は、賊除地蔵尊(ぞくよけじぞうそん)の伝承地説(でんしょうちせつ)があります。

昔ある夜のこと、盗賊(とうぞく)が与楽寺に押し入ろうとしました。そのとき、どこからともなく多数の僧侶(そうりょ)が出てきて盗賊(とうぞく)の侵入(しんにゅう)を防ぎ、ついに追い返してしまいました。翌朝(よくあさ)、本尊(ほんぞん)の地蔵(じぞう)菩薩(ぼさつ)の足に、泥がついているのが発見され、地蔵(じぞう)菩薩(ぼさつ)が盗賊(とうぞく)を追い出したと信じられるようになりした。

これが、与楽寺の賊除地蔵(ぞくよけじぞう)伝説です。
また、与楽寺は、六阿弥陀(ろくあみだ)参詣(さんけい)の第四番札所(ふだしょ)です。
「北区」 与楽寺(よらくじ)の鐘(かね) (滝野川第一小学校)

この鐘(かね)は、12月31日の大晦日(おおみそか)に除夜(じょや)の鐘(かね)として使われています。本当は、鐘(かね)を打つのはお寺の人ですが、ここでは、一般(いっぱん)の人につかせてもらえます。つくために0時前に並ぶ人が多く、0時を過ぎるととても長い行列ができます。そして、ついた後には、みかんとお札がもらえます。
「北区」 田端八幡(はちまん)神社 (滝野川第一小学校)

この写真は、田端八幡(はちまん)神社です。入口の方にはおみこしの入って所があります。そのおみこしは古くからあり、大切にされています。

八幡(はちまん)神社は昔、火事で焼けてしまったけれど人々の協力で、建て直りました。
「北区」 上田端(かみたばた)八幡(はちまん)神社 (滝野川第一小学校)

この写真は、上田端(かみたばた)八幡(はちまん)神社です。公園がありますが、そこにある時計は十二時で止まっています。木がたくさんあります。ぼくは、ここで、七五三の祝福(しゅくふく)をしてもらいました。
「北区」 東覚寺(とうかくじ) (滝野川第一小学校)

この写真は、東覚寺(とうかくじ)というお寺です。ときどき小さい子供達が遊びに来ています。 大きな庭があり、鬼ごっこもできます。そして、下の写真は東覚寺にある鐘です。実際にはとても小さいです。つく回数によって、感謝や供養(くよう)、祈願(きがん)などの願いがかなうといわれています。
「北区」 赤紙(あかがみ)仁王(におう) (滝野川第一小学校)

この写真は、赤紙(あかがみ)仁王(におう)です。
昔から、病気やけがをした時に赤紙を石造金剛力士立像(せきぞうこんごうりきりつぞう)に貼(は)り、(頭が痛かったら頭にはります)それが治ったら、自分でわらじをあみ、下の写真のようにつりさげます。
「江東(こうとう)区」 深川不動尊(ふどうそん)

千葉県の成田山の別院(べついん)として建てられた寺です。
「品川区」 天祖神社 (大間窪小学校)

ここは天祖神社というところです。大間窪小学校に一番近い神社です。そこの神社には、入り口を入って左側にようちえんがあります。この神社は毎年夏にやたいが出てお祭りがあります。私は今年行っています。

(※平成16年当時)
「台東区」 浅草寺(せんそうじ)

休日は,かなりの人がお参りに来ています。最近は人力車なども走っています。
三社さまをまつっている浅草神社もこの中にあります。
五重塔(ごじゅうのとう)は最近,夜にライトアップされるようになりました。
「台東区」 三社(さんじゃ)祭

5月の第3土曜日・日曜日に行われます。
仲見世という商店街の中など,街の中を町内御輿や本社御輿3体が練り歩きます。
「台東区」 鳥越祭

6月8日前後の土・日曜日に行われます。千貫御輿といってかなり重いです。
夜祭りといわれているように,御輿の宮入が夜9時近くです。
ちょうちんに火が入り,とても神秘(しんぴ)的です。
「台東区」 かつぎ手の人たち

下町の人たちは,5・6月になると仕事どころではなくなります。
「千代田区」 市場のあと

昔は,神田に市場がありました。狭くなったので引っ越しをしてしまい,石碑(せきひ)が残っています。今は,大田区にあります。
「千代田区」 昔の住所の板

千代田区になる前は,このあたりは,神田区といっていたそうです。横書きの昔の文字が反対の方向から書いてあります。読めますか?
「千代田区」 神田祭

千代田区に住んでいる人が参加しています。子ども御輿は2年に一度でます。学校の友達と一緒にかついでいます。
「豊島区」 鬼子母神(きしぼじん)

写真の本堂は1666年に建てられたといわれ,
豊島区で最も古い建物です。
「羽村市」 まいまいず井戸

水に恵まれなかった住民が考え出して、作った井戸です。鎌倉時代に作られたと言われています。地面をすりばちのように掘って、作られていて、形がカタツムリ(まいまいず)に似ているので、この名前がつけられました。
「羽村市」 玉川上水(たまがわじょうすい)

江戸(えど)の町に住む人が増えて、水が足りなくなったために、飲み水や生活に使う水を運ぶため作られたものです。
「羽村市」 玉川兄弟像

江戸時代に玉川上水を作った庄右衛門と清右衛門兄弟の像です。
「羽村市」 玉川上水 水門

玉川上水に多摩川の水を取り入れるために作られました。このあたりは、桜がとてもきれいで、お花見の頃はたくさんの人でにぎやかです。
「檜原村」 檜原城跡(ひのはらじょうせき) 東京都史跡指定

1590年7月12日、豊臣秀吉の軍に攻められ落城。最後の城主は平山氏重。それ以後は廃城となりました。
檜原村に伝わる黄金伝説(朝日伝説)の舞台と言われています。
・・・朝日さし、夕日輝く、その奥に、行って帰って杖の下・・・
「文京区」 こんにゃくえんま

目の病気を治すために,願いをかなえてくれるという言い伝えがあります。
「文京区」 護国寺(ごこくじ)

護国寺(ごこくじ)はとくがわつなよし(江戸時代のしょうぐん)の母けいしょういんのおねがいによって、天和元年は、(1681)にそうけんされました。とくがわつなよしは、えどばくふの5代しょうぐんです。当時は一番えらい人でした。
本ぞんは、にょいりんかんのんです。
近代いこうは宮家のおはかが作られました。
また茶道のそう本山としても有名です。
僕たちの、学校のとなりにあります。
ぜひ、見に来てください。
「文京区」 護国寺(ごこくじ)

この写真は大きな護国寺です。
この護国寺に僕たちの通っている青柳小があります。
2年生の時、護国寺のお寺の中をたんけんしました。
とても古いのに中はとてもきれいでした。
ひなんくん練のときも護国寺に、にげることもあります。
護国寺の中には,金色に光っているどうぞうがありました。
あと、天上には竜の絵があってすごかったです。
「文京区」 護国寺(ごこくじ)

ぼくたちの学校のとなりには、ご国寺というお寺があります。
ご国寺はとっても古い寺です。
ご国寺にいったときにどうぞうがありました。
ご国寺は何百年もだいじにされています。
有名人のおはかもあります。
「瑞穂町」 耕心館のレンガのえんとつ (瑞穂第三小学校)

昭和二十年代に数年間れんが製造業をいとなみました。
このえんとつはそのときに使用されたものです。
場所は、耕心館のちゅうしゃ場に、レンガのえんとつがあります。

ゲストティーチャー(瑞穂町資料館 田中章男先生)からの回答
(平成17年)
「瑞穂町」 五輪様の柿の木 (瑞穂第三小学校)

300年前からあった五輪様の木、今では、みきのまわり
2,4メートル、高さ14メートル。
神様の木ですから、実をとったり、木を切ったり、登ったりは、禁止されている。
柿の木の下には2基の(2き)五輪塔(くよう塔〔ごりんとう〕)があるそうです。
なので五輪さまの木なのではないかとおもいます。
昭和52年5月28日までさかのぼりますが、町の天然記念物に指定されたそうです。
この事を調べだしてから、冨士山公園(ふじやま)の五輪様の木を見てきました。禁止されているのにもかかわらず、木のえだがたくさん落ちていました。それでも、とても大きかったです。
遠くから見ても、はっきり、とても美しく見えます。
みなさんも、ぜひ見てください。

<ゲストティーチャー:夢酔藤山先生より>
むかしの人(ひと)は木(き)を神(かみ)さまのように大切(たいせつ)にしてきたのでしょうね。五輪様(ごりんさま)の五輪(ごりん)は、木(き)のしたにある石(いし)のことのようですが、どうして五輪(ごりん)というのかなぁ。不思議(ふしぎ)ですね?
この場所(ばしょ)に神(かみ)さまとしてこの木(き)と五輪(ごりん)の石(いし)があるのは、遠(とお)く戦国時代(せんごくじだい)にさかのぼってしまいそうです。武田信玄(たけだしんげん)という人(ひと)のけらいがここにいたという言(い)い伝(つた)えがありますが、ひょっとしたら関係(かんけい)があるかもしれませんよ。
ここは公園(こうえん)がちかくにあって楽しそうですね。
「瑞穂町」 狭山神社 (瑞穂第三小学校)

『調査目的』
「狭山神社」は、みんな調べなさそうだったから調べてみました。

『調査結果』
伊邪那岐尊、伊邪那美尊が祭られていて、口碑に夜やおると平安時代に源頼義が奥州征伐の際、この古社に戦勝祈願をしたとのこと。
社の右には茶場の碑があり、上部の文字はあの勝海舟の筆によるものだそうです。(明治11年建立)

『思ったこと』
狭山神社にこんなことがあったなんて、初めて知りました。

ゲストティーチャー(瑞穂町資料館 田中章男先生)への質問と回答
(平成17年)
「瑞穂町」 石碑 (瑞穂第三小学校)

[調査目的]
 いつできたか、知りたかったからです。
[調査結果]
 左の石碑は。大正3年で。右の石碑は。明治47〜8年です。
 両方の石碑は、元狭山村からできました。
 左は第一世界大戦で49名死んで、右は日露戦争で29名死んでしまいました。
 昔の漢字がたくさん書いてありました。
 『感想』 
 かなり昔にできてすごいと思った。

ゲストティーチャー(瑞穂町資料館 田中章男先生)からの回答
(平成17年)
「瑞穂町」 調練橋(狭山池) (瑞穂第三小学校)

調練橋は、昔、(1865年)から、2年かけて、このあたりの芝原で、農兵に鉄砲などの訓練を行ったため名付けられました。

<ゲストティーチャー:夢酔藤山先生より>
この農兵制度は、江戸時代の身分にないあたらしい改革だったんですよ。この成功が明治時代からの近代軍隊の原点になったといえます。
「瑞穂町」 道標1(駒形富士山) (瑞穂第三小学校)

調査目的 道標は何の役割をしていたのか知りたかったから    
調査結果 昔は看板などがないため、道標が道しるべの役割になっていた!!

ゲストティーチャー(瑞穂町資料館 田中章男先生)への質問と回答
(平成17年)
「瑞穂町」 道標2(二本木上宿) (瑞穂第三小学校)

【調査目的】
二本木上宿の道標は何年に建てられたのか。
どんな理由で今の場所にあるのか。

【調査結果】
二本木上宿の道標は単独の道標としては市内最古。
そして指定年月日は平成三年八月一日。
この道標は日光街道と河岸街道の合流点に建てられた。
そしてこの道標は銘文によると1774年に上町の人々が交通安全を願って建てたものだそうです。

【感想】
いつも何気なく見ているものがこんなすごいなんて知らなかったです。この場所にずっとあってほしいと思いました。

ゲストティーチャー(瑞穂町資料館 田中章男先生)への質問と回答
(平成17年)
「瑞穂町」 日光街道 (瑞穂第三小学校)

江戸時代初期、日光街道は、日光を守るために、八王子千人同心が、日光へ向かうために、作られたそうです。
途中で、宿に泊まりながら、3泊4日の、行程で日光に向かったそうです。
1636年東照宮が、完成すると、大名などを始めしょみんが、日光へ参拝するようになりました。
日光までのきょりは、142qあります。日光街道は、1652年に八王子千人同心が通るためにつくられたそうです。八王子千人同心は、日光まで4日間で行きました。その間には宿が22けんあるそうです。

<ゲストティーチャー:夢酔藤山先生より>
千人同心はなまえのとおり、だいたい千人くらいいた集団のことをいい、おかしらとよばれる10人のリーダーは八王子にすんでいました。半年にいちど、栃木県の日光というところへかよっていました。火事をけすためです。この日光というところには、江戸時代をつくった徳川家康という人をまつる東照宮というたてものがあるからです。
「瑞穂町」 馬頭観音 (瑞穂第三小学校)

 調べた目的
家の近くにあるし、前からおばあちゃんとかが馬頭観音の事を話していて、気になったから。

 馬頭観音の由来
馬頭観音とは、足が不自由な人がよく、おがみに来る建物です。
馬頭観音は、埼玉県入間市二本木××××−×番地にあります。形は、お墓みたいな形をしていて、コケが生えています。手触りは、ザラザラシしていてしめっていました。
前と右左には、字がほってあります。けどとても見にくいので、なんて彫ってあるのかは分かりません。
穴もあいていて、あめが入ってるときがあります。

 感想 
『馬頭観音は、結構有名らしくて、昔見に来る人がよくいたそうなんですが、説明の看板みたいのがなくてふしぎに思いました。馬頭観音はうちの近くにあるので、すぐ近くのものを調べられて良かったと思いました!!

馬頭観音には、いろいろな意味があるんだと思いました。
馬頭観音の石に彫ってある、文字が知りたいです!!

ゲストティーチャー(瑞穂町資料館 田中章男先生)への質問と回答
(平成17年)
「瑞穂町」 ひの見やぐら (瑞穂第三小学校)

調査目的1・・・前カラ気になっていたから!
調査目的2・・・何年前からあったかを調べたかったカラ★

調査結果1・・・狭山に3つある!
調査結果2・・・65年以上前カラある♪
調査結果3・・・火の見やぐらは歴史を守るため、今でも残されている★

ゲストティーチャー(瑞穂町資料館 田中章男先生)への質問と回答
(平成17年)
「瑞穂町」 元狭山神社 (瑞穂第三小学校)

ここは、学校の近くの神社です。
歩いて1分もかからないくらい近くにあります。

神社の後ろには、雑木林があって神社の後ろに一人で行くのは危ないです。
横には思い出図書館と言う図書館があって学校帰りに図書館によって行く事もあります。

節分の時には、豆をまいてくれたり、豆をもらったりします。
それに、みんな豆をほしがったりするから節分の時には、人がいっぱい来ます。
ぜひ、節分の時は来てください。
「瑞穂町」 元狭山神社 (瑞穂第三小学校)

元狭山神社は、大正7年ごろから始まったそうです。明治維新の時、駒形村、高根村、富士山村、富士山栗原新田が合村して、元狭山村となり、それぞれのうじがみもごうしされ、元狭山神社となったそうです。祭神天照大神など、十三神々がまつられています。

<ゲストティーチャー:夢酔藤山先生より>
すごくしらべてありますね。おどろきました。感心します。
元狭山村ができる前のそれぞれの村は、江戸時代、支配(しはい)していた人が違ったんです。サムライの時代が終わったので、ひとつにすることができたんですね。みんなの神さまを持ち寄って、みんなで拝むことにしたのです。このようにして、みなさんのおじいさんおばあさん、そのおじいさんおばあさんたちは、なかよく暮らしてきたのです。
「瑞穂町」 元狭山神社 (瑞穂第三小学校)

元狭山神社のわきにあるたて物はもともと学校だったそうです。
学校がたてかえることになって昭和45年に坂をけずって今の場所にひっぱっていったそうです。
中にはいってみせてもらいました。
大きなこくばんがはいってすぐありました。
こづかいしつっていうのがありました。
しょうじょうがいいっぱいありました。
さいほうしつっていうのがありました。
板みたいなやつに理科室などの教室が書いてありました。
こづかいしつは、こづかいさんっていう人がいたとこです。
ちなみに今ここは、おまいりをするとこです。
今も三小には、しょうじょうがいっぱいあります。
「瑞穂町」 竜泉寺 (瑞穂第三小学校)

★調査目的★
近所にあって、すこし気になっていたから。

☆調査結果☆
@お地蔵様が2人。(難しい字が書いてあった)
A石碑があった。

ゲストティーチャー(瑞穂町資料館 田中章男先生)への質問と回答
(平成17年)
「三鷹(みたか)市」 八幡神社

秋になると、どんぐりひろいができます。
「三鷹(みたか)市」 禅林寺

有名なお寺です。
「武蔵村山市」 横田トンネル

自転車用のトンネルです。昔,ダムを造るための資材を運ぶ鉄道が通っていました。