北区  滝野川第一小学校

田端(たばた)の町の紹介

1.遊び場  2.学校  3.交通  4.たてもの,しせつ  5.歴史的なもの


遊び場

<田端の公園紹介>

北区田端(たばた)公園

この公園で代表的な遊具(ゆうぐ)は、長くてカーブのある すべり台です。すべり台の頂上(ちょうじょう)に行くには、階段(かいだん)で行くか、山を登っていくかしなければいけません。おにごっこにも使われる、 とても楽しいすべり台です。
北区立田端西台児童遊園(ゆうえん)(タイヤ公園


この公園の遊具(ゆうぐ)は、すべり台・タイヤぶらんこ・バネバイク・などがあります。タイヤ公園は、主に小学生に使用されています。この公園の人気の遊びは、今はないけどタイヤを回して遊ぶ遊びです。だから、タイヤ公園とよばれています。この公園には、きれいな花があるので、お年寄りも多く来ます。
八幡(はちまん)神社公園

この公園は、遊具(ゆうぐ)が8個あります。近くには神社があります。そこでは、節分(せつぶん)の日に金まきがあり、たくさんの人がおとずれます。ぜひ一度来てみてください。
北区立童橋(わらべばし)公園

わらべ橋公園には、遊具(ゆうぐ)の数が6つあります。アスレチック、ブランコ、砂場、メリーゴーランドのようなもの、バネ動物があります。小学生は、アスレチックで遊びます。幼児(ようじ)は、メリーゴーランドのような遊具(ゆうぐ)で遊びます。わらべ橋公園は、小さい子から大きい子まで遊びに来ます。だからみなさんも来てください。
北区立田端(たばた)公園(へび山公園)

へび山公園には、8つの遊具(ゆうぐ)があります。すべり台、鉄ぼう、ブランコ、ジャングルジム、砂場、登りぼう、動物の乗り物、山、があります。

すべり台は、おにごっこなどに使われています。動物の乗り物は、幼児が使っています。登りぼうは、登ったり、荷物かけになったりしています。ぜひ来てください。

学校  →ページの先頭へ

<田端(たばた)にある学校の紹介(しょうかい)> 北区立滝野川第一小学校のほか、田端にはたくさんの学校があります。そのうち滝一小(たきいちしょう)と田端中学校(たばたちゅうがっこう)を紹介します。

わたしたちが通う小学校です。本年度(ほんねんど)で95周年(しゅうねん)をむかえました。おじいちゃんやおばあちゃんも滝一小に通っていた人がたくさんいます。

滝一小の校舎(こうしゃ)は、2つがくっついて、くの字形(じがた)なっていて 西側(にしがわ)が新館(しんかん)、北側が本館(ほんかん)になっています。

滝一の児童(じどう)は378人です。(平成17年3月現在) 屋上(おくじょう)からは富士山が見えることがあります。

滝一小の校舎は4階建て(だて)で、クラスは一学年で2クラ スずつあります。

職員室(しょくいんしつ)、音楽室(おんがくしつ)、保健室(ほけんしつ)、図工室(ずこうしつ)、パソコン室、田端資料館(たばたしりょうかん)などがあります。
滝野川第一小学校のクラブ



滝野川第一小学校は、木曜日の6時間目にクラブをし ています。クラブの種類(しゅるい)は、室内(しつない)スポーツ、球技(きゅうぎ)、 室内(しつない)遊び、パソコン、図工マンガ、ローラーブレード、 手作り、科学(かがく)クラブです。いろんなクラブがあって楽しいです。
北区立田端中学校(きたくりつたばたちゅうがっこう)



田端中学校は昭和11年に東京市滝野川高等小学校(たきのがわこうとうしょうがっこう)として創立(そうりつ)しました。昭和22年に、学制改革(がくせいかいかく)により北区立田端中学校に変わりました。昭和24年10月1日に田端中学校の校歌(こうか)ができました。田端中学校の校歌は、室生犀星(むろうさいせい)が作詞(さくし)しています。
       田端中学校校歌  作詞 室生犀星  作曲 平井康三郎

1 母校の土をよく見れば  親しきかなや土さえも  はなやぎにつつ静まれる  母校の土は美しきかな

2  君に従く日も  学業卒えて去らん日も  若きわれ等に守りあれ  永き栄えの祈らるる

3  教えの明りさしそいて 文はきらめく遠ち方へ 永きのぞみを誓うかな われらの田端中学校

交通 1】  →ページの先頭へ

<田端の駅・電車紹介> 滝野川第一小学校最寄り駅  (交通) 

田端駅(南口)

田端駅(南口)は、人通りが少ないのでほとんど、なにもありません。南口を出ると坂道があります。駅を出て右にいくと、階段があります。階段をあがると(春)きれいな桜(さくら)並木(なみき)があります。
山手(やまのて)線

明治35年、田端(たばた)〜池袋(いけぶくろ)(豊島(としま)線)と品川線(せん)がいっしょになって山手線になりました。
品川線は、(品川〜赤羽(あかばね))でしたが、今は、赤羽方面は、京浜(けいひん)東北線です。今は新型車両もでてきました。下のしゃしんは、E231系(けい)500番台です。
京浜東北(けいひんとうほく)線

この電車は京浜東北線の最新型のE231系(けい)です。京浜東北線では、まだ2編成(へんせい)(20両)しかありません。田端駅でも時々見られます。(2005年3月現在)

京浜東北線は、昼間、快速(かいそく)になります。停車(ていしゃ)駅は「大宮、さいたま新都心、与野(よの)、北浦和(きたうらわ)、浦和(うらわ)、南浦和(みなみうらわ)、蕨(わらび)、西川口、川口、赤羽、東十条(じゅうじょう)、王子、上中里(かみなかざと)、田端(たばた)、上野、秋葉原(あきはばら)、東京、浜松町(はままつちょう)、田町、品川、大井町(おおいまち),大森(おおもり)、蒲田(かまた)、川崎(かわさき)、鶴見(つるみ)、新子安(しんこやす)、東(ひがし)神奈川(かながわ)、横浜(よこはま)、桜木町(さくらぎちょう)、関内(かんない)、石川町(いしかわちょう)、山手(やまて)、根岸(ねぎし)、磯子(いそご)、新杉田(しんすぎた)、洋光(ようこう)台(だい)、港南(こうなん)台(だい)、本郷(ほんごう)台(だい)、大船(おおふな)です。」

快速(かいそく)に乗るときには、注意してください。
この列車(れっしゃ)は、E231系の先輩(せんぱい)の209系です。そのうちの1車両は、901系です。

901系は、209系の試作車(しさくしゃ)です。

田端〜田町(たまち)間で、工事があると、田端駅のはしっこ、(西日暮里方面)に行くと、京浜東北線が、山手線の線路(せんろ)に行ったり、山手線が、京浜東北線の線路に行ったりすることがあます。工事があったときは、見ていてとても面白いです。ぜひ来て見てください。
田端車両基地(たばたしゃりょうきち)  
田端機関区(たばたきかんく)


田端駅の近くには新幹線(しんかんせん)(車両基地)や機関車(きかんしゃ)(機関区)があります。
車両基地には、はやて、こまち、やまびこ、つばさ、なすの、Max(マックス)、とき、たにがわ、あさま、あさひ、などがとまってます。
機関区には、EF81、EF66、きんたろう、ボンネット(白山、白根、)貨物列車(かもつれっしゃ)、タンク車、がとまっています。
田端車両基地の上には東北(とうほく)、秋田(あきた)、山形(やまがた)、上越(じょうえつ)、北陸(ほくりく)長野新幹線が通過(つうか)します。

【交通 2】

<田端の坂の紹介> 田端には坂がたくさんあります。 

ポプラ坂

この写真は、ポプラ坂を下からとったものです。この黄色の棒(ぼう)が、目印です。この坂は、田端保育園のすぐ前にあります。人通りは少ないけれど、周りに家はたくさん建っています。小杉放庵(洋画家が作ったポプラ倶楽部(くらぶ)がここにあったので、ポプラ坂と呼ばれるようになりました。
江戸坂(どざか)

この写真は、江戸坂です。アスカタワーのすぐ真横にあります。駅に近いので、意外と人通りや車が多いです。この坂を通って、学校へ登校して来る子もいます。
八幡坂(はちまんざか)

八幡坂(はちまんざか)を通る人は、田端銀座へ行く人や、買い物をする人がよく通る坂です。八幡坂は、となりに八幡(はちまん)神社(じんじゃ)があるので八幡坂(はちまんさか)とよばれるのです。

木(き)が多くて(おお)暗い(くら)坂(さか)です
ゆうれい坂

暗い坂で、人通りが少ないです。ゆうれいが出そうなので、「ゆうれい坂」とよばれるようになったのかもしれません。もともと、田端は坂が多いですが、その中でも一番こわい坂だと思います。 
準備中 十字坂

これは、十字坂です。十字路(じゅうじろ)ですべてが、坂になっているので「十字坂」と呼ばれるのだと思います。田端駅(たばたえき)にもつながっています。
準備中 与楽寺坂(よらくじざか)

与楽寺坂は、十字路の4つの坂の内の1つで、下に は与楽寺(よらくじ)があります。田端駅前通り商店街(しょうてんがい)へぬける路地(ろじ)もあります。人通りは少ないです。

たてもの,しせつ  →ページの先頭へ

<田端の児童館(じどうかん)の紹介> 滝一小のみんなが一度(いちど)は遊びに行きます。いろいろなイベントもあってとても楽しい場所(ばしょ)です。

プレイルーム

児童館の3階にあるプレイルームです。ここでは、ドッヂボールや卓球(たっきゅう)などができます。

行事(ぎょうじ)があるとここが使われることが多いです。児童館で行われる主な行事は、ポプラ祭りや6年生の卒業(そつぎょう)を祝う会などがあります。

ポプラ祭りにはだれでも参加(さんか)することができて、とても楽しいです。
図書室(としょしつ)

2階には図書室があり、たくさんの本が並んでいます。図書室は行事があるときに使われることもあります。

歴史的なもの 1】  →ページの先頭へ

<田端(たばた)に住んだ文士(ぶんし)や芸術家(げいじゅつか)の紹介>  (歴史的人物)

 田端には昔多くの文士や芸術家が住んでいました。

作家達(たち)が選んだ田端(たばた)

作家達が田端を選んだ理由は、いろいろありましたが、上野に東京芸大が開校されてそこに近いので集まってきた人も多くいたようです。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)は、学校に近くて静か所なので田端に住むようになったそうです。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の作品

芥川龍之介は、いろいろな作品を残しました。
たとえば、「地獄変(じごくへん)」や「奉教人(ほうきょうにん)の死」などいろいろあります。
芥川龍之介は、大正三年に田端に来て、昭和二年に自殺するまで、田端に住んでいました。
大正五年には、「鼻」という作品を発表して有名になりました。
ほかにも、いろいろな作家たちが、田端に集まりました。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の自殺

芥川龍之介が自殺した日は、昭和二年七月二十四日です。
毒(どく)を飲んで自殺しました。自殺した理由は、体が弱くなることとぼんやりとした不安からだそうです。

自殺をした場所は北区田端の自宅です。芥川龍之介は田端と深い関わりがあるのです。
板谷波山(いたやはざん)

板谷波山(いたやはざん)の釜(かま)の煙突(えんとつ)の一部です。
この煙突は滝野川第一小学校の資料室に展示(てんじ)してあります。

板谷波山(いたやはざん)の釜(かま)は、若い頃夫婦が苦労しながら造ったので夫婦(めおと)窯(がま)と呼ばれました。
小杉放庵(ほうあん)

小杉放庵は、ポプラクラブを作った人です。ポプラクラブは、明治41年ごろ洋画家の小杉放庵が中心になってつくったテニスクラブで、田端に住む洋画家の社交場(しゃこうば)となったものです。小杉放庵は、明治33年に、田端163番地に下宿しました。
ポプラクラブ

左の写真は、田端保育園のななめ前にあります。その田端保育園は、ポプラクラブの跡(あと)です。ポプラクラブとは、小杉放庵が中心になって、美術家たちがあつまってつくられたクラブです。ポプラクラブには、テニスート2面とクラブハウスがあり、ポプラ並木があったことから、ポプラクラブという名前になりました。

【歴史的なもの 2】

<田端の寺・神社の紹介> 田端には歴史のある古いお寺や神社がたくさんあります。 (歴史・名所史跡)

与楽寺(よらくじ)

これは、与楽寺(よらくじ)の本堂(ほんどう)です。与楽寺は、賊除地蔵尊(ぞくよけじぞうそん)の伝承地説(でんしょうちせつ)があります。

昔ある夜のこと、盗賊(とうぞく)が与楽寺に押し入ろうとしました。そのとき、どこからともなく多数の僧侶(そうりょ)が出てきて盗賊(とうぞく)の侵入(しんにゅう)を防ぎ、ついに追い返してしまいました。翌朝(よくあさ)、本尊(ほんぞん)の地蔵(じぞう)菩薩(ぼさつ)の足に、泥がついているのが発見され、地蔵(じぞう)菩薩(ぼさつ)が盗賊(とうぞく)を追い出したと信じられるようになりした。

これが、与楽寺の賊除地蔵(ぞくよけじぞう)伝説です。
また、与楽寺は、六阿弥陀(ろくあみだ)参詣(さんけい)の第四番札所(ふだしょ)です。
与楽寺(よらくじ)の鐘(かね)

この鐘(かね)は、12月31日の大晦日(おおみそか)に除夜(じょや)の鐘(かね)として使われています。本当は、鐘(かね)を打つのはお寺の人ですが、ここでは、一般(いっぱん)の人につかせてもらえます。つくために0時前に並ぶ人が多く、0時を過ぎるととても長い行列ができます。そして、ついた後には、みかんとお札がもらえます。
田端八幡(はちまん)神社

この写真は、田端八幡(はちまん)神社です。入口の方にはおみこしの入って所があります。そのおみこしは古くからあり、大切にされています。

八幡(はちまん)神社は昔、火事で焼けてしまったけれど人々の協力で、建て直りました。 
上田端(かみたばた)八幡(はちまん)神社

この写真は、上田端(かみたばた)八幡(はちまん)神社です。公園がありますが、そこにある時計は十二時で止まっています。木がたくさんあります。ぼくは、ここで、七五三の祝福(しゅくふく)をしてもらいました。
東覚寺(とうかくじ)

この写真は、東覚寺(とうかくじ)というお寺です。ときどき小さい子供達が遊びに来ています。 大きな庭があり、鬼ごっこもできます。そして、下の写真は東覚寺にある鐘です。実際にはとても小さいです。つく回数によって、感謝や供養(くよう)、祈願(きがん)などの願いがかなうといわれています。
赤紙(あかがみ)仁王(におう)

この写真は、赤紙(あかがみ)仁王(におう)です。
昔から、病気やけがをした時に赤紙を石造金剛力士立像(せきぞうこんごうりきりつぞう)に貼(は)り、(頭が痛かったら頭にはります)それが治ったら、自分でわらじをあみ、下の写真のようにつりさげます。